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大人って何だろう? 【後編】
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     7月5日(日)の朝日新聞の折り込みに入っていた『GLOBE:大人って何だろう?』をザッっと読んだ感想のつづきです。
    (http://globe.asahi.com/feature/2015070200008.html)
    〔※朝日新聞デジタル購読者以外は一部しか読めません。〕

     歴史好きの私にとって、とりわけ興味深く読めたのは、歴史上の人物を例にあげて説明した文章でした。
     三国志の曹操は「(為政者としての)結果責任を果たす」こと、フランス王アンリ4世は「柔軟さと寛容さ」、ロシア皇帝エカチェリーナ2世は「現実主義(リアリズム)」などなど...これらが「大人のリーダーの条件」であるということです。

     まあ、その通りだろうと思います。
     ただ、これらは全て、まずは"自立"があった上で"より良い大人"になるための条件のようにも思えました。
     とりわけ「柔軟さと寛容さ」については、近年多発する「土下座強要事件」や「クレーマーの悪質化」や「モンスターペアレンツ」など、とりあえず大人であるけれども、自己中心的で、レベルが低いとしか思えないような大人が増えているような気がしてなりません。


     次に、「大人にならなくてもよい時代」は来るのか? について。
     最初に表題に興味を持ちました。大人にならなくてもよい時代...何やら面白そうな話を予感させます。ですが、中味を読んでみると、少々思っていた内容とは違いました。だからというわけではありませんが、ちょっと批判が多くなります。

     筆者は、ポストモダン型の人間はまだ存在していないとおっしゃっていますが、私もそう思います。実際に、前時代の画一化された価値観の弊害として特徴的だった"対人恐怖"は、今も無くなっていません。これは、何らかの形で画一化された価値観が今だに社会全体に横たわっているからだと思います。

     一つ気になったのが、発達障害についての件です。
     発達障害の原因の一つに「(主体が存在しない)発達障害的な心のありかた」をあげていますが、それは違うと思います。発達障害は、あくまでも脳の機能障害です。
     私には、かつて発達障害を持つ人と個人的に深く関わった経験がありますが、決して「心のありよう」などではないと感じました。心のありようによって、症状(行動パターン・思考パターン)をある程度改善させることは不可能ではありませんが、間違っても"原因"などではありません。(私はそう感じました。)

     また、「"主体"がないと、自分と他人の区別がなくなり、他人の心が理解しにくい...」といったお話も出てきましたが、これは、心理学者や精神科医、または、私のように、発達障害を持つ人と深く関わった経験のある一部の人にしか、意味がよく理解できないと思います。
     とりわけ、"自分と他人の区別がない"という点が、いったいどういうことなのか、世の中の多くの人にはサッパリ意味が分からないか、もしくは、大きな語弊を招きかねないと思います。

     発達障害を持つ人が「自分と他人の区別がない」というのは、例えば、隣の人が苦しんでいて、自分は別になんともなかったときに、
    (自分は苦しくないのに、隣の人は苦しそうにしているけど、なんでだろう?...自分が苦しくないのだから、ここに"苦しみ"なんか存在しないはず...苦しそうな"フリ"をするのには何か意図があるのでは...?)
    と、思ってしまうようなことです。

     ただし、これは直接的な他人との関わりの中でのみ起こる思考であって、たとえば、遠くに住む異国の難民などが苦しんでいる情報などをテレビなどで知れば、彼らに対して(あの人たちは苦しんでいる。可愛そうだ。)と理解できたりもします。
    (※あくまでも、これは、発達障害を持つ人と深く関わった経験のある私が、相手とのやり取りの中で感じたことです。事実とは異なるかもしれませんし、人によっても違うかもしれません。)

     つまり、私がここで言いたいのは、"大人になる・大人にならない"の話題に、発達障害の話を持ち出してくるのは、まったくの見当違いだということです。

     発達障害の話を語るときには、もっと、極力語弊のない説明を加えてほしいと思います。誤解や偏見や差別を生むような表現は、極力避けてほしいのです。それが、発達障害で苦しんいる本人のためでもあり、発達障害の人と個人的に関わっている人のためでもあるのです。

     他人の心が理解できない人が増えてきているのは、"柔軟さと寛容さ"に欠ける人が増えているからであって、"他人の心が理解できない"のではなく、"他人の心を理解しようとしない・理解するつもりがない"ということなのです。
     能力的に理解できないのではなく、激化する競争社会の中で、他人に思いやりを示す余裕をなくし、他人の心を理解するよりも、他人を打ち負かすことを優先せざる負えない状況に追い込まれてしまっているからなのです。


     また、現代の状況は、必ずしもポストモダンの時代になっているわけではないと私は考えています...
    (...ちなみに、「ポストモダン」って何?...どういう意味?)
     聞いたことはあったし、なんとなく漠然と理解していたけれども、どちらかといえば芸術用語的なイメージが強いこの言葉...。

     新聞だけでなく、公(おおやけ)に発表する文章を書くときは、カタカナ言葉(とりわけ近年の新しい外来語)を使うのは最小限にしてほしいと私は思っています。

     たとえば、パン(発泡性小麦蒸餅?)やスパゲッティー(伊太利亜風蕎麦)など、日本語にするとかえって分かりにくい言葉のみに限定してほしいのです。
     中には、国際化社会の中で、日本語ではピッタリと当てはまる言葉が見つからない場合などに、難しいカタカナ言葉を使わざる負えない場合もあるかもしれませんが、それでも出来るだけ日本語で絞り出すなり、日本語の組み合わせで新しい造語を作るなりしてほしいです。でなければ、意味や注釈を別欄にでも書き添えてほしいと思います。

    たとえば、
    「価値観多様化社会」(※ポストモダンの言葉の意味の一部。だけど、ここで重要なのは"この意味合い"がメインなので、これだけでもO.K。)
    とか、

    たとえば、
    (注:ポストモダン…理性と学問によって人間性と社会は良い方向へと進歩していく、という近代の統一された価値観が崩壊し、たくさんの情報が飛び交う世の中で、価値観が多様化していく時代の意味。)
    のように。


     話を戻します。
     私は、現代の社会はまったくポストモダンの時代になっていないと考えています。
    「理性と学問を重んずる価値観が崩壊した」という点ではそういう傾向もあるかもしれませんが、その結果として価値観が多様化したのではなく、価値観が入れ替わっただけだと考えています。ただ単に「理性と学問、人間性と社会」から「経済(お金)と力(権力)、個人の成功と結果重視」へと価値観が移り変わっただけのように思えてなりません。
     その背景には、やはり経済第一主義・競争社会(競争原理)が存在しているのでしょう。

     私は、まったく別の視点で「大人にならなくてもよい時代」が来て欲しいと考えています。
     協調性、我慢、現実主義、責任...大人として認められるためのスキルはたくさんありますが、私はこう思うのです。

    ・周囲に合わせるだけの協調性ならいらない!
    ・自分を殺してまで我慢しなくていい!
    ・お金と権力のためだけの現実主義はやめなければならない!
    ・顧客の欲求不満のはけ口としての責任なら取らなくていい!

     こうすることが「大人になる」というのであれば、大人になんかならない方がマシです。そうではなくて...

    ・自分を含めたみんなのための協調性。
    ・自分が正しいと心から思える我慢。
    ・お金や権力ではなく、一人でも多くの人を幸せにするための現実主義。
    ・失敗を糧にして、改善させようと努力する責任。

     大人とか子どもではなく、これが当たり前になるような社会になればいいなと思っています。

    | 社会問題 | 13:54 | comments(0) | - | - |