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人間関係と恋愛を科学する雑学サイト Little Riffle

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複雑な人間関係や不可思議な恋愛感情など、人間について独自の視点で科学する雑学サイト

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録画しておいたデスノートを見ました。
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     録画しておいたデスノート(テレビ版)を見ました。

     巷では、原作や映画版と設定がいろいろと変わっている点が批判されているようだけれども、とりあえず私は、テレビ版はテレビ版として楽しみに見れそうな感じがしました。設定が変わっている部分も含めて、そう思えるほど良い出来になっているのではないでしょうか?

     そういう私も、原作は読んだことはなく、藤原竜也が夜神月役を演じた映画版しか見たことがないんですけどね。

     映画版では、主人公のキラこと夜神月(やがみらいと)は、頭脳明晰な優等生でとても美人な彼女もいたりする"リア充"人間でしたが、今回のテレビ版では、たいして勉強もしていない平凡な大学生で、とりわけ弥海砂を応援しているアイドルオタクという設定でした。

     映画版の夜神月は、常識的な日常生活の裏に隠された、頭が良すぎるゆえの"異常性や冷酷性"が、最初から随所に感じられたのですが、テレビ版ではそれが感じられません。映画版では、夜神月の正義感は"未熟で幼稚な正義感"だと、その異常性や冷酷性からすんなり理解することが出来たのですが、テレビ版の夜神月は、けっこうマトモで常識的な正義感の持ち主のように感じられます。

     これで、どうやって「キラ=悪、L(エル)=善」の方向に持っていくのか...?
    (※こういう方向に持っていかないと、ある種『テロリズムを肯定する問題作』とされてしまう。)
     それとも、「キラ=悪、L=善」とは違う、もっと別の方向性を示してくれるのでしょうか? 楽しみです。


    ≪キラ肯定派とキラ否定派について≫

     映画版では、キラ肯定派とキラ否定派の両方の人たちが出てきます。
     キラによる凶悪犯罪者たちへの制裁によって、世の中の凶悪犯罪は激減します。ただ、これはしょせん"恐怖による支配"なので手放しで喜ぶことはできませんが、平和の実現に向けて大きく前進します。警察機構の目的の一つである"犯罪抑止"の効果も抜群です。要するに、とりあえず"結果は出ている"ということです。

     デスノートの主題の一つとして私の個人的な考えを述べれば、これはつまり...

    「結果を重んずるのか、倫理観や過程を重んずるのか?」

    ...ということだと思うのです。
     キラ否定派の人たちは、たとえ凶悪犯罪者とはいえ人の命は大切なもの、それをむやみに奪うのは良くない。キラという個人の主観によって量刑(死刑)を決めるのではなく、公平な場としての"法の裁き"にゆだねるのが正しい。そのために警察は頑張っているのであり、その努力を認めるべきだ...といった考えです。

     つまり、結果を重んじているのがキラ肯定派であり、倫理観や過程を重んじているのがキラ否定派ということです。そして、映画版では後者を"本物の正義"と位置づけています。
     ただし、キラ賛成派が大勢いて、キラ否定派も大勢いる中で、この両者を分けているものは「結果と過程のどちらを重んじているか」ではなく、物語の中では、"未熟で幼稚な正義感を持つ者(良識に欠けている)"と、"正しい正義感を持つもの(良識のある)"の対立構造として描かれています。

     では、現実の世の中を見てみるとどうでしょうか?
     私たちが生きている現実の世の中は"結果がすべて"です。どんなに勉強を頑張っても成績が上がらなければ意味がないし、どんなに一生懸命に仕事をしても、業績が悪ければ会社は潰れてしまいます。
     スポーツの世界でも、試合に負けても(頑張ったから良い、全力を出し切ったから良い)と思えるのはその場だけであり、勝ち続けて(その世界で)有名になれなければ、プロになることはできません。プロになれなければ、いずれ普通のサラリーマンになり、そのスポーツを止めなければならないときが来ます。

    まとめると、以下のようになります。

    ・キラ賛成派    ・キラ否定派
    ・結果重視     ・過程重視
    ・幼稚な正義感   ・正しい正義感
    ・良識に欠ける   ・良識のある
    ・現実の世の中   ・理想の世の中(?)

    つまり...デスノートでいうところの、良識に欠ける部分が大半を占めている社会が、現代社会とも言えるのではないでしょうか。


    ≪恋愛要素について≫

     突然ですが、恋愛要素についても考えてみたいと思います。(そういうブログなので。)
     映画版では、キラである夜神月(藤原竜也)に一途に想いを寄せる弥海砂(戸田恵梨香)の姿に、ずいぶんと男心を揺さぶられたものでした。夜神月はアイドル弥海砂の存在すら、最初は知りませんでした。
     また、夜神月(藤原竜也)は"ツンツン男"の典型でもあり、両親の仇を取ってくれた感謝の気持ち以上に、彼のツンツンぶりに惹かれていく弥海砂(戸田恵梨香)が描かれていました。そして、ただイケメンだからというだけではなく、あのツンツンぶりに、多くの女性ファンが心を奪われたのも確かです。

     ですが、今回のテレビ版の設定では、最初から夜神月はミサのことを認識しています。認識しているどころか、夜神月はアイドル弥海砂のファンです。弥海砂の両親を殺害した犯人をデスノートを使って殺すのも、映画版では"たまたま"だったけれど、今回のテレビ版では、弥海砂の両親殺しの犯人と分かった上でやっています。

     通常、女性アイドルが男性ファンに恋心を抱くことはありません。
     何故なら、「自分に一生懸命な男=(イコール)自分よりもランクの低い男」だからです。
     女性は、より優秀な男性に惹きつけられます。厳密に言えば、優秀な遺伝子を持った男性に惹きつけられます。優秀な遺伝子を持った子孫を残したいからです。ですが、専門的な研究機関にでも依頼しない限り、染色体に含まれるDNA情報を知ることはできません。なので、相手の男性の「データ」や「言動」や「雰囲気」などで判断するのです。
     ファンである以上、「言動」と「雰囲気」において、その女性アイドルよりも「ランクが下」と判断されます。アイドルとファンの間柄では「データ」も分かりません。ブログやツイッターなどで自己紹介的に「データ」を書き連ねたところで、(わざわざ自慢話をする"小さい男")と思われるだけです。
     こういった理由で、自分のファンだからこそ、女性アイドルが彼らに恋愛感情を抱くことはあり得ないのです。

     ただし、夜神月はキラ(=ある意味、最強の武器の所有者)であり、両親の仇を取ってくれた恩人でもあり、常識的な(?)正義感の持ち主でもあります。その点で恋心を抱く可能性もありますが、映画版の夜神月(藤原竜也)と比較すると、自分のファンでもなくツンツン男でもない分、やや"弱い"と言わざる負えないでしょう。

     にもかかわらず...まさか、夜神月と弥海砂の"両想いでラブラブな"シーンなんかが出てこないでしょうねぇ?
     正直、そんなシーンはあまり見たくないような気がします。

     まあ、とにかくテレビ版デスノートの、今後の展開に注目していこうと思います。

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